お花見散歩と花筏

毎日、ニュースで桜の開花情報が流れるこの頃。近所の桜が散ってしまう前にと、お花見がてらの散歩に行きました。

桜がずらっと植わっている川沿い。3分の1くらいは葉桜になり始めていましたが、まだまだ満開と言って差し支えないくらいで、見応え十分。ちょうど天気もよく、お花見日和でした。足を止め車を止め、風景を写真に収めている人。橋の下におりて桜を楽しむ人もちらほら。やっぱり日本人は桜が好きなんだよなあと改めて思います。

 

桜並木の途切れた合間、ふと橋の下を覗いてみると、綺麗な花筏が流れていました。

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散った桜の花びらが川の流れに乗って運ばれる様子を表した言葉で、自分の好きな言葉です。

桜が散る頃になると、川が淡い色の花びらで埋め尽くされてゆっくり流れていく。その様子を何もせずにぼんやりと眺めているのなんか、この上なく穏やかでゆったりとした、春らしい時間の使い方だと思います。桜は満開になってすぐよりも、ちょっと散り始めたくらいが見頃なのかもしれません(特に川沿いは)。

考えてみると、こういう風景を作り出せるのは、桜の他にはそうないんじゃないかと思います。川沿いにずらっと植えられる、花を咲かせる木と言ったら、1番有名なのは桜の木じゃないでしょうか。街路樹には銀杏やメタセコイアなどいろいろありますが。

 

ちょっと気になったので調べました。

日本の街路樹に使われている木で最も多いのが銀杏、次いで桜、ケヤキの木だそうです。種類としては他にもあって、中でも花を咲かせるものにはユリノキハナミズキがあるのだとか。(街路樹 - Wikipedia

こうして見ると、花を咲かせる街路樹は桜がダントツで多いです。

花筏」という言葉の意味も、「散った桜の花びら」と指定がかかってるくらいですから、これは桜の特権なんでしょう。

 

花筏良いなあと思いながら歩いていると、好きだった古典の話を思い出しました。

吉田兼好作・『徒然草』の第137段、『花は盛りに』の章。高校1年生の古典の授業で初めて読みました。これのテストで100点を取りたくて取りたくて必死で勉強したのに手が届かず、悔しかったのをまだ覚えています。ちょっとした思い入れのある話です。

話を戻して、この『花は盛りに』のなかで、兼好法師は「桜は満開だけをみるものじゃない。部屋に閉じこもっていて春の訪れを知らないのも、今にも花が咲きそうなくらいの枝、散ってしまった後や花見に行けずに詠んだ歌にも風情がある。物事は、始めと終わりこそが良い(要約)」と言っています。

花筏は、結構これに当てはまる光景だと思います。満開になりたての頃は見られないけれど、花が散り始め、すっかり散ってしまった後も、散った花びらは川を彩ってまだまだ綺麗な桜が見られる。

散る様も美しいのは大昔から今までの共通認識で、それがどこに帰結するかというと、「やっぱり日本人って桜好きだよなあ」です。咲くか咲くかというところから散り終わりまで、ずっと眺めてますしね。

 

見返してみるとまだまだまとまりのない文章ですが、精進していきます。最後まで読んで下さり、ありがとうございました。